中学の時だった。ある朝、遊廓の二階に立って歯を磨いていたら担任の先生が下を通る姿を見た。「お早うございます、先生」とハチローは声をかけた。ハチローはその日のうちに退校処分になってしまった。サトウハチローには逸話が多い。
落第三回、転校八回、勘当十七回(自称)が示す通り、親不孝なハチローだが、その彼が、後年詩人として『リンゴの唄』『長崎の鐘』などの幅広い詩作で人気を得るようになる。昭和二十九年には、詩集『おかあさん』で文部大臣賞を受賞。“蛙の子は蛙”というが、彼は作家佐藤紅緑の御曹子、芸術一家に生まれ育ったのだった。
ハチローの墓は詩人らしく、詩碑兼用の墓であり、「ふたりでみると、すべてのものは美しくみえる サトウハチロー」と刻まれている。
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