もし、モラエスが英語で日本の風俗、習慣、文学を書いたなら、ハーンこと小泉八雲と比較される人物であっただろう。日本をこよなく愛し、日本の女性を妻とし、徳島の田舎町に骨を埋めたことを思うと、彼の第二の故郷は日本であったに違いない。
リスボンで生まれ、神戸で領事として十七年近く勤めた後、日本の一地方の深みで一生を終えた彼の人生は、ただ幸福になろうとする試みだったに違いない。彼の名はウェンセスラウ・デ・モラエスという。三十三年間の日本滞在のうち、十七年間を徳島で過ごした。
処女作『大日本』を始め、数多くの著作があるが、出版されたのは四十三歳以降であることに驚く。『日本の生活』『茶の湯』『徳島の盆踊り』『コハル』『おヨネかコハル』『日本夜話』などのほか、時折日本通信をポルトガルに送っていた。
それよりも、日本妻おヨネとのラブロマンス、肺病で死なせたおヨネへの思い。そしておヨネの姪コハルとの愛の生活、親子ほどの年の違いを乗り越えた愛の姿は胸を打つものがある。
モラエスはコハルを亡くした後、アルコールで悲しみを和らげる日々だった。
墓は、日本を愛した外国人らしく、カタカナ文字で刻まれている。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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