詩人であり、童話作家であり、教師であり、農業科学者であり、仏教信仰の人、科学の人、実践の人など評は色々だが、そのどれもが当を得ている。賢治は父政次郎、母イチの二男三女の五人兄弟の長男として生まれた。父の職業は、当時は質屋と古着商で、土地の名門宮沢家の一族だった。信仰篤く温厚でありながら、商売上手な父に、賢治は矛盾を感じ、反抗しつづけた。それが理由かどうか、法華経こそ仏教の本流とばかりに改宗し、親を手こずらせていた。
墓は五輪塔で、正面は文字の一つも刻んでいないのっぺらぼうの墓一基で祀られ、誰が建立したかも記していない。
賢治は生涯独身をとおした。宮沢家はレプラの血統と信じ、自分の黒い血を恐れていたのである。賢治の辞世は「今夜は電燈が暗いなあ」だったという。
|
墓地所在地は、変更になっている場合があります。
トップページへ戻る |