静岡県に生まれた豊田佐吉は、小学校を卒業後、父の大工仕事を手伝っていた。
内気で無駄口はきかず、何を考えているのか分からないようなところがあったため“ムッツリ佐吉”と言われたらしい。
二十歳で友人と東京へ家出し、軍人を志望しながらも知識欲の旺盛だった佐吉は、大工仕事のかたわら工場見物と織物の研究に熱中する。
第三回内国勧業博覧会で外国製の織機を見て、明治二十三年には独力で豊田式人力織機を発明した。
さらに改良を重ねて、大正十三年には世界最高という評価を得たG型自動織機を完成させ“世界の織機王”と言われるまでになる。
晩年は自動車に着目していたが、長男の喜一郎が父の夢を受け継いで自動車工業を発展させた。
墓は、先祖の祀り方を知っている墓だと感じられる。代々墓石の高さが統一されていて、清々しい。
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