講談本で名高い江戸の政商、文左衛門は、紀州の貧農の倅だったが、妻の実家から資金を借りて、嵐の中、ぼろ船にみかんを満積し、江戸で売りさばいて千金をつかむ。後に木材商となり、江戸の大火、振袖火事の時には木曾材を買い占めて巨万の富を得た。これが文左衛門の人物像であるが、現在のところ、それらを裏付ける確たる証拠はほとんどない。生没年すらまったく分からないのである。
また、数々の豪遊のエピソードが伝えられているが、彼は吉原で大尽遊びばかりしていたわけではない。吉原の水利の悪さを知ると、ただちに井戸を掘らせた。赤穂浪士が本所から泉岳寺へひきあげる途中に渡った永代橋も元禄十一年に架けている。こうした公共施設にもかなり出費している。
しかし、大銭の鋳造を請負ったもののすぐに通用停止となり、大きな損失をうけ、晩年は非常にみじめであったという。
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