1889(明治22)年、滋賀県愛知郡八木荘村(現秦荘町)の農家の長男として生まれる。
幼くして父を亡くし、21才で上京。早稲田大学政治学科に入学し、柔道部と弁論部に入部した。
在学中からすでに100人もの人を使い、鉄工場を経営し、株も手がけていた。
その後、石炭採掘や雑誌出版、真珠養殖など数々の事業に挑戦するが苦難の連続だった。
29歳の時軽井沢千ケ滝の開発に乗り出し、西武帝国への道を歩み一代で西武コンチェルンを築く。
西武鉄道・プリンスホテル・パルコ・ロフト・西武百貨店・西友・クレディセゾン・無印良品・リブロ・西武ライオンズ、
今なお成長する西武グループの事業は、もとをたどれば一人の男、堤康次郎氏から始まったのである。
1924年、36歳で衆議院議員となり、以後13回当選、衆議院議長も務めたが、政治家としてよりも西武グループの創立者として知られている。
箱根、軽井沢の開発を行い、近江鉄道、西武鉄道などの鉄道事集へも進出した経営人としての才能は早くから備わっていたようである。
生地には、1924年に東京から移築させた木造平屋造りの邸宅が堤会館として維持されている。隣に堤の墓がある。
当時、明治の財界人はこぞって大きな墓を作ったが、彼ほど立派で大きな墓を持っている人はいないであろう。
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