小泉は昭和八年から二十二年まで慶大塾長、および総長を兼任、経済学者として終始マルクス経済学批判の立場から『マルクス死後五十年』『共産主義批判の常識』など多くの著作を残し、大きな社会的影響力を持った。その彼が戦後になってあらゆる要職を絶って専念したのが東宮御教育係である。昭和四十一年彼が急逝した時に、港区麻布の小泉邸においでになった皇太子、皇太子妃両殿下の沈痛な面持ちが、教育係としていかに細かい心遣いや努力を、小泉が続けていたかを雄弁に物語っている。学者、思想家、教育者、そして愛国者として小泉を語る時、誰もがその“信念ある良識”を指摘した。
「よきスポーツマンは“あくまで戦う人、潔く敗れる人”である、といわれるが、相手を尊敬することは、即ち己を尊敬することであることを思い、何処までも規則を重んじて善く戦い、潔く敗れることがフェアプレイである」。小泉自身が記すフェアプレイの精神だ。
デンと構えた墓は、彼の一生を表現するのにふさわしい。
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