学者の文知らずという言葉があるが、寺田寅彦ぐらいの名エッセイストはいない。
特に科学という分野を、わかりやすくエッセイにまとめた筆力は、さすが漱石門下生である。
門下生とはいえ、漱石も寅彦には一目置いていたようで、『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八は
寺田寅彦をモデルにしたものと言われている。
父の利正は軍人で、高知県出身であった。
五高、東大を卒業後、東大で講師、助教授から教授になるが、
航空研究所、理化学研究所、地震研究所にも席を置き、身近な現象から物理学全体を幅広く研究した。
著書『地球物理学』は名著である。学術書では、他に『海の物理学』『科学論文全六巻』『物理学序説』がある。
また彼の数多くの写生文、随筆『冬彦集』『続冬彦集』『万華鏡』『薮柑子集』『柿の種』『蒸発皿』『蛍光板』なども優れた作品であった。
大きな足跡を残した彼、墓はそれを物語っているかの如く、広い墓所を持っている。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
明治・大正・昭和期の物理学者・随筆家 |
境石 |
15cm |
没年齢 |
58歳 |
竿石 |
98cm |
所在地 |
高知県高知市・久萬墓地 |
石質 |
白系花崗石 |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
巨石墓 |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
3段・高さ81cm |
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1987年現在の資料に基づいております。