昭和三十五年頃、当時話題をさらっていた作家西口克己が、第二弾の新作『山宣』を発表した。
『山宣』つまり山本宣治のことである。それを読んで感動した関西の若い勤労者グループが、
自分達の手で『山宣』を映画にしようと立ち上がった。タイトルは『武器なき闘い』、監督は山本薩夫である。
資金はすべて百円カンパ、四千人のエキストラは学生や労働者の無料出演という型破りの映画ができあがった。
映画は、宣治が京大と同志社大で生物学を教えるかたわら、産児制限の講話をする場面から始まり、
大正から昭和へかけての重苦しい世相を写しだす。京大事件後、宣治は大学を追放されて労農党へ入り、農民運動を指揮する。
そして昭和三年の総選挙で代議士に当選。
しかし、それもつかの間、治安維持法に反対する宣治の陰には官憲の黒い手がのびていた。
神田の旅館で、元巡査に刺し殺され、四十年の生涯を閉じる。
墓は山宣らしく、自然石の堂々とした墓だ。言論界の戦士らしく、炎を燃やし尽くした男の墓にふさわしい。
戒名 |
- |
玉垣 |
無 |
職業 |
大正・昭和期の生物学者・政治家 |
境石 |
無 |
没年齢 |
40歳 |
竿石 |
175cm |
所在地 |
京都市宇治花屋敷の裏山 |
石質 |
自然石系 |
墓の方位 |
北 |
墓のスタイル |
奇型・台石が自然石 |
正面入り口の方位 |
北 |
台座 |
1段・高さ75cm |
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1987年現在の資料に基づいております。