1905年北海道札幌市に生まれる。
1925年東京高等工芸学校彫刻部(現千葉大学工学部)入学、彫刻修行の第一歩が始まる。
卒業後、国画創作協会彫刻部第一回展に「少女の首」が初入選。この頃より高村光太郎に師事。
1934年国画会会員となる。
この頃よりモニュメントへの関心が強まり、次第に大作に取り組むようになる。
1953年、43歳のとき、代表作である戦没学生記念像「わだつみのこえ」が立命館大学に建つ。
その後も「氷雪の門」「嵐の中の母子像」「雪華の舞」などバラエティに富んだ作品を次に制作。
1980年東京の自宅にて肺がんのため死去。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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