土佐藩最後の藩主であり、明治維新後初の高知藩知事でもある。
養父の十五代藩主・山内容堂が隠居謹慎を命ぜられたため、弱冠十四歳で家督を継いだ。
後に謹慎の解けた容堂の執政が続き、特に目立った活躍はないものの、土佐藩士の支援には積極的だった。
戊辰戦争の際には兵を送り、薩摩・長州とともに、維新において土佐藩が大きな役割を果たした土台をつくったといえるだろう。
墓は異様である。亀の姿をかたどって造られたのだろうが、まったく奇怪千万な墓である。
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