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武田信清のタイトル

武田信清の墓の写真

 上杉謙信と川中島で激戦を交わした戦国の名将武田信玄の六男(七男の説もある)として生まれる。 のちの上杉景勝の正室菊姫の弟にあたる。
 信玄の死後、武田家を継いだ四男勝頼は、1575(天正3)年の長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れ、 1582(天正10)年で天目山で自刃、武田家は滅びた。 この時、信清は僧姿に変装し高野山に逃れ、後に姉の嫁ぐ景勝を頼り越後へ渡る。 義を重んじる景勝は、妻菊姫の弟で名門武田家の流れをくむ信清を大事な家臣として迎え、3000石の知行を与えた。
その後、上杉家の移封に伴い信清も会津、米沢と移り、会津120万石時代には3300石の高知行を賜り、 米沢藩時代では藩主親族とし高家衆筆頭に遇され1000石を賜る。
 1642(寛永19)年3月21日に80歳(83歳とも伝えられている)で病死、上杉家の菩提寺林泉寺に葬られた。
 墓は、林泉寺本堂の南側に位置する武田家墓域の中の一段と大きな五輪塔である。 高さ2.3メートル、一番下の地輪(方形)の一辺は77センチと大きく、 五輪の各輪に禅の公案(修練の問題)である「祖師西来意」の五文字を一字ずつ刻んでいる。現在、山形県の史跡に指定されている。

戒名 虎山玄竜居士 玉垣
職業 安土・桃山時代の大名 境石
没年齢 竿石 五輪塔 169cm・角石塔 48cm
所在地 山形県米沢市・林泉寺 石質  
墓の方位 墓のスタイル
正面入り口の方位 台座 3段・高さ47cm
1987年現在の資料に基づいております。
墓地所在地は、変更になっている場合があります。

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