元就は三人の息子を臨終に呼び寄せ、三本の弓の矢を手に取り「これを一本ずつ折れば、たやすく折れるが、
一束にして一気に折ろうとしても、容易に折れるものではない。
だから、お前たちも、各自が一味同心の思いで協力すれば、他から折り捨てられる筈はない。」と遺言したという。
戦国の世にあって親兄弟も争いに明け暮れた時勢、この遺言は光っていた。
信長・秀吉にも、また家康にも叩きのめされることなく、三百年間も外様大名として生き残った。
とくに徳川家の仕打は苛酷そのものだったという。その毛利家が明治維新によって光を見いだした。
これはまさに毛利元就のスタートと、その伝統を護ってきた子孫の力でもあった。
元就の墓は郡山城址にあり、まずは広い。その墓には、『この木を自分の墓の目じるしとせよ』と元就が遺言したと伝えられているハリイブキの大木が植わっている。
戒名 |
洞春寺殿日頼洞春大居士 |
玉垣 |
第1・160cm 第2・110cm |
職業 |
戦国時代の武将 |
境石 |
- |
没年齢 |
74歳 |
竿石 |
- |
所在地 |
広島県安芸高田市・洞春寺跡 |
石質 |
- |
墓の方位 |
南 |
墓のスタイル |
墳墓 |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
- |
|
1987年現在の資料に基づいております。