四角張った顔に、口髭をたくわえた風貌と大きな声、そしてその人柄から“ライオン首相”と呼ばれていた浜口雄幸。浜口は、どんなに訪問者が多くても一人一人に会い、相手の言うことを静かに聞いて、返す言葉遣いは丁寧だったという。
尾崎行雄は彼のことを「頭はともかく、非常に真面目で、責任感の強い政治家」と評した。大蔵省専売局時代、後藤新平から満州鉄道入りを誘われたが、「折角事務所が緒についたばかりであるから、専売局を去るような無責任なことはできない」と断ったという。また党人になってからも、恩義ある後藤が脱党したにも関わらず、党にとどまり再建に努力した。
首相としての浜口は、折からの世界恐慌の影響を受け、経済破綻と軍部・右翼の批判を招いてしまったが、官邸襲撃の噂がとぶ中で「逃げ隠れして一国の総理がつとまるか」と平然としていたという。
墓は、雄大な白系花崗岩がデンと構えていて、ライオン首相らしい墓である。
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墓地所在地は、変更になっている場合があります。
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