三代目市川九團次の養子、市川莚蔵は、終戦後初舞台を踏む。
初めはごく普通の役者だったが、昭和24年立ち上がった「歌舞伎再検討のための公演」で、持役の「道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)」の求女(もとめ)と、病気休演の中村扇雀(現坂田藤十郎)の代役『平家女護島』「俊寛」の千鳥で、彗星のように輝きだした。これがきっかけとなり、市川寿海との養子縁組が整い、昭和26年に市川雷蔵を襲名する。
昭和29年、映画の世界に転進。以後の活躍は目覚しく、映画界の貴公子としてスターダムに駆け上がる。生涯の出演映画は153本。娯楽映画から、芸術作品まで、数々の話題作に主演し、主な映画賞を総なめにした。雷蔵独自の、確固たるスターの地位を築いた。
舞台への意欲も衰えず、昭和35、40、41年の3回大阪新歌舞伎座で、また昭和39年には日生劇場に出演。その後も、映画はもとより、舞台の予定も、びっしり詰まっていた。
自分の劇団『鏑矢(かぶらや)』の結成を発表し、第1回公演の準備を始めていたのだが、その頃、病魔が既に進行し、昭和44年春、入院、同年7月17日、37歳の若さで世を去った。念願は遂に永遠の夢になった。
戒名 |
大雲院雷蔵法眼日浄居士 |
玉垣 |
無し |
職業 |
俳優 |
境石 |
外柵32cm |
没年齢 |
1969年7月17日歿 37歳 |
竿石 |
74cm |
所在地 |
東京都太田区・池上本門寺 |
石質 |
花崗岩(白色系) |
墓の方位 |
西 |
墓のスタイル |
和型普通 |
正面入り口の方位 |
西 |
台座 |
芝台20cm・下台40cm・上台35cm |
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