面積三千三百平方メートルという沖縄最大の墓。“幸地”は名字、“腹”“門中”は父系の親族集団を表すので、幸地一族の墓を意味する。
中央に本墓、その前に四つの仮墓、合計五つの破風墓が配置されている。三百年の歴史と五千人の納骨堂だが、碑名その他は一切無い。
本墓(ト−シー)と仮墓(シルヒラ)があるのは、死去するとまず仮墓に葬られ、三年後に洗骨をして本墓内に安置するからである。
しかし例外としては、八十歳以上の人や、門中に功労のあった人は、直接本墓に葬られる名誉が与えられる。
ところが、自殺したり、汚名を残したり、七歳以下の者は一門の不幸者として別に取扱われる。
昔は、墓の大小で家の格が決まり、自分の家の墓より大きな墓地のところからは嫁をもらえなかった。
貧しい沖縄にあって、墓がいやに立派なのは、墓を財産と考えたためである。
大きな墓だけに、これを維持できずに売ってしまうと、墓まで売った者として蔑まれてしまう。
本土とは違ったユニークな形をした墓である。中央が代々長男墓、右側が次男・三男、左側が長女・次女の同族墓として作られている。
戒名 |
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玉垣 |
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職業 |
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境石 |
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没年齢 |
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竿石 |
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所在地 |
沖縄県糸満 |
石質 |
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墓の方位 |
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墓のスタイル |
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正面入り口の方位 |
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台座 |
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1987年現在の資料に基づいております。